★谷口雅春 / 『幸福を招く365章』
●富める貧者と、貧しき富者(ふうじゃ)と
常に天地の美に目覚めている者は、天国浄土に住む者である。
庭の雑草一本にも、小さき虫のなく音にも、白雲の行き交いにも、
美を見出すものは富者である。
貨幣は使い切れぬほどであれどもその使い道を知らず、
ただその分量の多からんことを願っている者は、
唯の蒐集家(しゅうしゅうか)にすぎない。
吾々は蟻のように蓄えるばかりになってしまってはならないのである。
味わうことは本当に受けることである。
如何に多くのものがあっても味わうことを知らないものは
本当に受けることをしらないのであるから、貧しき者と云わなければならない。
財は乏しくとも、凡ゆる(あらゆる)事物に存在する美を、その意義を、
その宜しさ(よろしさ)をしみじみと味わうことの出来る者は既に富める者である。
□谷口雅春『生命の謎』
●天地一切のものよ、お前たちを私は祝福する。
お前たちが幸福であることを祈る。
●心配は「橋に来ない前から橋を渡ろうとするから起る(おこる)」
●その時、その場で、「今」を有りがたく受け、「今」に全力を注いでいたら
決して取越苦労(とりこしくろう)は起こらないのである。
●月は決して曇っていないのだ。曇っているのは『雲』自身だ。
●何か、誰かに対して役に立っていると云う想いが
自分の存在価値をみとめしめるのである。
誰かのためになることを一日一度でもせよ。
それは貴方(あなた)の生活を支えて行く力となるであろう。
一つとして人のためになる行為をしたことのない人は、
どんなにその人が成功しても、心の中(うち)には敗北があり、寂しいのである。
与える物がなければ、
激励の言葉や、鼓舞する言葉や、賞める(ほめる)言葉や、愛語や、
微笑を与えるだけでも相手を生かすことが出来るのである。
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